寺坊侑烏になるまで

6)独立するしかなかった

私がステンドグラスに出会ったのは2001年。アートスクールを卒業して2009年から2011年まではガラス工房の助手でした。ムサビにも通いながら、薬剤師も続けていました。犬の介護もあって、なるべく短い時間の外出にしよう、もっともっと勉強しなきゃ、漠然と焦っていました。

卒業してしばらく経って、アートスクールの同級生が当時珍しいレンタルボックスというところが出来て出品して楽しいと教えてくれました。小さなスペースに小さい物を飾るのは楽しそうだなと思って、私は表参道のレンタルボックスに切手サイズのフュージングの作品を置かせてもらいました。

依頼以外で初めて作品を販売した経験になりました。ここから当時は少なかった百貨店の催事に誘われてBunkamuraのクラフトフェアや西武百貨店などに出すことになりました。

同じ同級生(結構ご年配)が横浜に面白いギャラリーを見つけたけど、若い人を連れてくるって約束しちゃったから一緒に来てと言うので、とりあえず遊びに行ってみたら近々アートイベントを企画しているから出してみないか?と言われ、申し込んで帰ってきました。

横浜のイベントは白い壁に展示するため、ガラスを壁から浮かして取り付けることを思いつき、私の想いをありったけ詰めたキリンを展示しました。ニューヨークを目指している画家である友人のパートナーが見に来てくれて、「キミ海外行けるよ!ギャラリー紹介してあげる」と言って帰っていきました。

か・い・が・い・・・思いついたこともなかったけど、、、そんなことがあるのか、、、話を聞いてみようとキリンの頭だけ持って銀座のギャラリーへ伺ったら、ちょうど明日バルセロナのアートフェアに行くので、持って行ってあげると預かってくれました。

レンタルボックスは好調だったので、初めての個展はmini額日記200日分とそれまでの旅の想い出を作品にすることにしました。

mini額は、学んで働いて制作して介護しての毎日の中で短い時間に大切に作れるギリギリの大きさだったかもしれません。

小さな欠片を集めて作品にするステンドグラス、小さな作品を散りばめた個展会場、小さな学びを繋いで作る価値観やコンセプト、こういうことは私が一貫して行っていることです。

今はピースの中に更に小さな模様をしたためて作品にしていくことが多くなりました。

個展には知り合いがたくさん来てくれて、mini額日記という私の1日を持って帰ってくれました。

独立して1年で目まぐるしく環境が変わりました。

ここだけ書くと調子が良い滑り出しに見えますが、独立するには理由があり、ここでもエイヤッ!と周りを見ずに飛んだのでした。

なぜ私が独立することにしたのか、、、それまで販売というハードルがものすごく高いものだと思っていました。

しかし、段々と世の中には適当な物や人が溢れていることが分かってきて、こう言ってはなんだけど、助手をしていた工房の先生は有名な人だけど、作家としては同意できない部分もありました。

ステンドグラスの業界は30年以上右肩下がりで、老舗の工房や会社はほとんど無くなりました。真面目に作ると100万円はくだらないランプは安い中国製が百貨店に数万円で並び、素人目には違いが分からないかもしれません。パネルも外国製の既製品が私たちの材料費より安い値段で流通しています。

細々と経営を続けている工房は、主に教室での収入や副収入があるところか、安いガラスで雑貨を大量に作っていて、いかに簡単に早く見栄えがするかを追及していて、手を抜いても分からないところは徹底的に省きます。真面目に作っている作家や職人に裕福そうに見える人はほとんどいません。

札幌の先生もアートスクールの先生も他の有名な作家さんも、好きな制作だけで生活を続けていける人はほとんどいなくて、評価も売り上げも無いのが実情です。

今は材料も海外から入らず、値上げもされて、問屋さんも減りました。さらに状況が悪くなっていて続けることは難しいです。

こうなることは独立当時も分かっていて、危険すぎると思いつつ、、、働いていた工房での仕事は多く、毎日ガラスを大量に切る訓練にもなり、先生を助けてあげたい気持ちもあったけど、どんなに働いても利益が出ないようで給料未払いが続く工房を出て、自分の良心に従って制作することにしました。

プロになろうと思って勉強してきたわけではなかったのに、作品に自信があるわけでもなかったのに、その先の展望も何もないのに、

ダメでもいいじゃん、好きなことでチャレンジするのだから! 開き直ってGo!Go! いつか病院に飾りたい作品を作るために。

キレイなガラス選び、手を抜かない制作、現代の空間に合うデザイン、新しい技術を取り入れる、LEDの方がキレイに見えるランプ、やりたいことはたくさんありました。ちゃんとした物を1つでも2つでも届けていけば、業界全体がいつか良くなるかもしれない、そんな想いの2011年春、36歳でした。

現在、49歳。奇跡的に続けていますが、私も他の方と同じでビックリするくらいキツイです。でもお金で買えない経験や喜び、全てを忘れて制作する時間は何物にも代えがたく、挑戦してよかったです。

そろそろ苦難みたいなことだけじゃなく、楽しいことを思い出したいので、次回は海外視察について書きます。

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ガラス作家 寺坊 侑烏(じぼう ゆう)は「1000年残るステンドグラスを作ります」を信念に、

全国の公共施設、商業施設、住宅の空間に彩りを加えるアートガラスを受注制作しています。

ヨーロッパを中心にステンドグラス視察のために20か国以上訪れ、有名・無名問わず、これは!と思うステンドグラスの紹介とガラスや制作を通じて得られる学びや想いを綴っています。

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  • この記事を書いた人

寺坊 侑烏 Yuu Jibo

旅好きガラス作家。制作の傍ら、ガラスが使われている空間を歩いて探している。今までに20年以上、20か国以上、見つけたステンドグラスは数知れず。女一人、ほとんどボディランゲージで現地で愛される現代の窓を見つけるたびに感動と感謝の涙が止まらない。

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