
目が見えない人が笑っていました。
どうやって笑顔を覚えたのでしょうか?彼は誰の笑顔も見たことがないはずです。
自分が笑っている顔も見たことがないから、他の人とちょっと違うように笑っていることも分かっていないはずです
私達は周りの人以外にもポスターや映画で美しいとされる笑顔を見て真似しようとしたり、いい感じの感情を伝えるコミュニケーションとして笑顔や表情を使います。
それは伝達手段になっていますが、受け取り側も同じような情報をベースに生きていると過程しての事だと思います
チェコへ行った時、まだ社会主義国の香りが抜けず暗い表情の人が多かったです。私が笑顔で話しかけると気味悪がられてる気がしました。
彼らは笑顔を私と同じ西欧圏の感覚でとらえていないと思います。ただ楽しければ笑うし、素朴で居心地は悪くなかったです。
話を戻しますが、目の見えない人は笑顔を伝達手段ではなく、表現として使っているように思います。
感情を表現するのと、伝達することは全く別物で、彼らの笑顔の中に真実があるような気がしました。
私は表現として作品を作る時と、
オーダーメイドで空間や光の条件、施主様の意向や設計者の意図を組んで、役割のある物を作る時があります。
出来上がった物はどちらもガラス作品ですが、作るスタンスが真逆です。
今まで自然に分かれていて、自分を優先するのか、他人を優先するのか、の違いなのかな?と思っていましたが。。
根本的に違うことを同じ手段でやっていた事に気づきました。
どちらも全力に変わりないのですけど、伝達の中に表現を求められることはよくありますし、表現の中に何を伝達しようとしてるのか?聞かれることもあります。
表現の場合は、やりたくてやってるだけだから解釈もお任せで、そこは作品の範疇に含まれません。
伝達の場合は、正直なところ、伝わると嬉しいって気持ちがありますね。
どちらも押し付けや期待は良くないと思いますが。
伝達する相手が過去の自分や未来の自分である作品もありますからね、、
でもそれは、そうしたくなった今の自分を表現してるだけ。グルグルしてきたので、続きはまた明日考えようと思います。